ずずずです。
2011年3月11日あなたは何をしてましたか
私は東京の事務所で仕事をしておりました。
当時、私は東京近郊では珍しく液状化が一番ひどかった場所に住んでいました。
地震が発生してから液状化により賃貸アパートは半壊扱いとなり、ガス・水道が3ヵ月も使えない生活を過ごしました。
電気だけは利用可能でしたがそれだけでは生活できません。
インフラが無い生活が不便すぎて泣きそうでした。
インフラのほとんどを奪われ不便さを感じてましたが、津波が襲った街たちは通常の人では考えられない苦痛と悲しみに襲われていたのは事実です。
地震発生後2日後に仕事関係者から要請があり、青森県に移動したのももう7年も経つんですね。時が経つのは早いですが心の傷は何年経っても癒えないものです。
仕事上、東北には知り合いが多くご家族が津波の被害にあい、行方不明になられた方が何名もおられ、いまだに帰られておりません。
私は忘れません。直接的に津波被害を受けたわけではありませんでしたし、凄まじい勢いに迫ってくる波や人に悲鳴などを聞いたわけでもありません。
いまだに津波の動画を見るだけで、ブルーな気持ちになったりします。
これからお見せするのは2015年に撮影した写真になります。 現在もあまり変わってないと思います
月日が経ち私の生活も変化しました。
普段は仕事やブログ、ジムや子どもとの成長に追われ、TVやニュースでもあまり見る機会が減りましたが、毎年3月11日が近づいてくると思い出します。
何度見ても悲しいなぁ。
最後に
自然災害とはいえ忘れてはいけない過去。こういう話しは繊細ですのであまり触れないようにしたいとは思いますが記録するためのブログでもあります。
その時に置かれた状況により思いや考えは違うでしょうが、私のこの思い(心境)は一生忘れることはないでしょうね。
同僚が2ヵ月休職し、母親を探し続けて戻ってきたときに言った「もう見つかんないよ・・・」は。。。重すぎました。
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